“人のずるいところのわかんのは、自分にもおんなじ心があるからっだぞ。”
リトル・フォレストの冬・春編で出てくるこのセリフが、生活のさまざまな場面でわたしを支えている。支えているっていうのはちょっと違うか。イマジナリーおじいちゃんがこちらをじいっと見つめている、に近いかもしれない。
「人の振り見て我が振り直せ」という言葉がある。わたしは結構長いこと、誰かの悪いところをみつけたら自分を省みて改め、いいところをみつけたら真似するくらいの感覚でこの言葉を受け止めていた。もちろん今もだいたい同じようにとらえているんだけれど、最近は、誰かの悪いところや嫌なところに接したときに、相手を批判したり、評価したり、分析したりする前に、自分にも似たところがあるかもしれないと思って省みることを大事にしている。なぜなら、おじいちゃんが言うように、誰かの嫌なところが目に付くとき、だいたい自分にもそれがあるから。相手に何か伝えなければならない場合でも、ワンクッション加えることで選ぶ言葉や態度が変わる。

散歩をしていると、山の木々や草花、鳥や虫、空や空気が全力で春をみせてくる。

これでもか、これでもかと美しい。

遠近感がよくわからなくなるような雄大な景色のなかに立っていると、自分のちっぽけさや、見ている世界の狭さがよくわかる。そしてそれでいいとも思う。それでいいけれど、内側に閉じず、外側に開いていたい。そんなふうに在りたいと心から思う。
