姿をみせないコジュケイとシャガの花

姿をみせないコジュケイとシャガの花

4時半に設定したアラームを止め、布団のなかで手足をゆっくり動かしていたら、外からコジュケイの「チョットコイ チョットコイ」が聞こえてきた。今日はやけに声が近い。そうっと起きて、栗畑側の窓をのぞくけれども、あいかわらず姿は見えない。

庭に出てハーブに水をやり、成長を愛でたあと、デッキからヤマボウシを仰ぐ。2階のベランダから見るのとは、また違う美しさがある。 

デッキから見上げたヤマボウシ

ふと足元に目をやると、雑草をかきわけるようにシャガの花が咲いていた。きのうはまったく気がつかなかったな。

シャガの花

わたしは近視かつ乱視であるにもかかわらず、普段ほとんど眼鏡をかけない。だから、世界はいつも少しぼんやりして、少し歪んでいる。そのうえで、見たいものしか見ていないとしたら?ものすごく狭い範囲しか見えていないってことだ。

その途方もない狭さを自覚してからは、できるだけ体を動かそうと思うようになった。体を動かせば視点が変わる。視点が変われば、心が動きだす。可動域は広ければ広いほどいい。

庭の水やりも、瞑想も、散歩も、読書も、文通も、すべてそこにつながっている。眼鏡をかけて生活できるようになればもっとよくなるんだろうけれど、それはまだまだ先の話。