6月30日は各地の神社で夏越の大祓が行われる日。わたしたち夫婦が月に一度お参りしている神社でも、茅の輪が用意される。神事としての「茅の輪くぐり」も行われるし、そのあと各々でくぐることもできるので、わたしたちは夕方、人が少なくなってきた頃を見計らって出かけるようにしている。今年は月曜日の開催だったため、夫は休みをとって参加した。正直、茅の輪をくぐり、唱え詞を唱えることにどれほどの意味があるかはわからない。けれども、そのために時間を作って足を運び、心を整えて何かと向き合うという行動には、やはり意味があるように思う。なんていうんだろうなぁ、自分との約束というか、ひと続きの毎日に区切りをつけるとか、そういう感じの。そんなことを思いながら茅の輪をくぐり、残りの半年もよく食べよく寝て、やるべきことをしっかりやって楽しく過ごしますと宣言して、夏越の祓いを終えた。
日記やSNSで何かを言ったり書いたりするときに、誰かの発言や行動を取り上げて何かしらの感想を述べるのってほんとうに必要なことだろうか、と考えはじめて数ヶ月が経つ。家族の発言や行動について感想を書いたり、マナーの悪いドライバーの文句や自治会の愚痴を言ったりするたびに、自問自答を繰り返してきた。そのうえで、現時点での結論を出すとするならば、「ネガティブな感想を述べる必要は、わたしにはない」だなと思う。それは、さまざまな理不尽に対して口を閉じ、我慢するみたいなことではもちろんない。そういう思いは感想という形ではなく、抗議をしたり、通報したり、選挙に行ったり、問いかけたり、別の方法でも表せる。そのほか、あの作品はつまらなかったとか、あの店のじゃがいもはおいしくなかったとか、そういう類の感想についても、いまのところわたしには必要なさそうだなと思う。
とはいえ、不要なことにたっぷりと時間をかけ、必要なことを十分にできないまま(やらないまま)1日が終わるっていうのは見慣れた日常で、きっとこれからも言わなくていいはずの感想を口にしたり、書かなくていい愚痴を綴ったりしてしまうんだろうと思う。けれども、たとえそうなったとしても、ほんとうに必要だろうかと考えつづけた時間が無駄だったとは少しも思わない。自分にしつこく問いかけること、そしてそれによって得られた気づきは、わたしがなりたいわたしになるための支えになっていくはず。なんとなく、そんな気がするのだ。
