器用貧乏

器用貧乏

2024/12/24

数日前、夫とごはんの支度をしているとき、ふとしたことから器用貧乏の話になった。

器用貧乏っていうと、いろんなことがまあまあできるけど、その道を極めているわけじゃない人、みたいなイメージが思い浮かぶ。つまり、わたしのような人。昔から、器用貧乏って言葉を耳にするたびに、ああわたしのことだなぁと思ってきた。

わたしにはこれだけは、と自分や他人に胸を張れるようなものはなんにもない。だから、何かを極めた、または極めようとしている人をみると、きらきら輝いて見える。まぶしい。心の底からかっこいいなぁ、と憧れる。

ただ、若い頃も今も、そこで「わたしなんて」とならないのがわたしのおもしろいところで、自分にできることをなるべく楽しくやるしかないよねーと思いながら年を重ねてこれた。そうして40代も半ばを過ぎた今、しみじみと思うのは、器用貧乏もずっと続けていると豊かになるぞってこと。なんていうんだろう、いろんなことがそれなりにできるって実はすごい財産だと思うんですよね。なぜかというと、それだけいろんなことにチャレンジしてきたってことだから。やってみるって超大事で、たとえその道で大成しなくても、基本的なことを身につけるまでの過程とか、かかる時間とか、おさえておくべきポイントみたいな、「何かをはじめるときのノウハウ」みたいなものが自分のなかに蓄積されてく、そのことがもうすごい。

一応ことわっておくと、成功しなくてもいいとか、道を極める必要はないとか、ひとつのことをずっと続けるよりもいろいろやったほうがいいとか、そういうことでは全くなくて、別の軸の話として器用貧乏って貧乏じゃないよってことが言いたい。ただ、ほんとうはこの道をまっすぐいきたいのに自分にはどうせ無理だからとか、上には上がいるからとか言って、逃げの器用貧乏をやるんだったらずっと貧乏なんだと思う。つまり、自分がどうなりたいか、どうしたいかを無視してたら、何をしたって貧乏ってことなんじゃないかな。わたしはこの年になって、今までいろいろやってきたことがめちゃくちゃ役に立ってる。毎日だいたい楽しい。

まとめると、こんな感じのことを話した。忘れる前に書けてよかった。