薄曇りの空と小さくても確実な一歩

薄曇りの空と小さくても確実な一歩

つい言いすぎてしまうとか、余計なひと言を付け加えて後悔する、みたいな失敗は日常茶飯事で、毎日がっかりしたり反省したりしながら生きている。

たとえば、そんなつもりで言ったんじゃないのに、うまく伝わらず微妙な空気になったとき(そういうことはとてもよくある)、まずはもう一度伝える努力をする。言葉や態度をあらためて、丁寧に。それで伝わるときもあれば、聞く耳を持ってもらえないことだって普通にある。うまく伝わらないとき、聞いてすらもらえないとき、わたしはさらに言葉を重ねて説明しがちだ。でも、それって結局は、自分が楽になりたいからなんじゃないのか。わたしがしているのは説明というより弁明や釈明に近くて、わかってもらうことをゴールにしてしまってはいないか。ほんとうにそれでいいのか。

先日、18歳に言わなくてもいいことを言って、傷つけてしまった。あわてて謝罪をしたあと、ほんとうに伝えたかったのはこういうことだと説明をしたんだけれど、「もういいから、気にしていないから」と笑顔でシャッターをおろされた。今までなら、そこからさらに言葉を重ねてしまっただろう。実際重ねそうにもなった。けれども、自分が楽になりたいがためにこの話をし続けるのはやめよう、うまく伝えられなかったモヤモヤや苦い気持ちをそのまま抱えて、これからの言動で本音や反省を示していこうと思い直し、なんとかふみとどまった。それが相手にとってよいかどうかは、正直よくわからない。それでも、わたしにとっては小さくても確かな一歩だったと思う。まだまだ練習の日々は続く。