駅ビルの本屋さんと思慮深さ

駅ビルの本屋さんと思慮深さ

先日、近々沖縄へ出張に行く夫と、今後着ることがなさそうな服を売りたい18歳と、ちょっと外の空気を吸いたいわたしの3人で、地元の駅周辺に出かけてきた。

地元駅といっても、20歳は別の路線と駅、夫と18歳は同じ路線の別の駅を利用しており、わたしはほとんど電車に乗らないため、普段は立ち寄るどころか近寄ることすらない。そういうわけで、この街に住んでもうすぐ20年になろうというのに、駅周辺に何があるのか、どんなお店が人気で何が名物なのかよく知らないまま時間だけが過ぎてしまった。そんな流れが変わったのはちょうど去年の今ごろ。家族が古着や古靴にハマったのを機に、月1くらいのペースで駅周辺のお店をのぞくようになった。街を歩いているとさまざまな発見がある。車では通れないような細い路地、ビルとビルの間にひっそりと佇む神社、いつのまにか店名が変わった商業施設。まだまだ知らないことのほうが多いけれど、少しずつ街と知り合いになっていく感じが楽しい。

無印やUNIQLOが入っている駅ビルで、数日の滞在に必要な細々したものや下着などを揃えたあと、同じビル内にある小さな本屋さんにも寄ってみることにした。この街で生まれ育った夫を含め、地元の人たちにとっては馴染みの深いお店らしいが、わたしには縁もゆかりもない。 意外と人がいるなと思いながら、まずは店内をひととおり流し見する。ふと気になった海外文学の棚の前で足を止める。とても小さい棚。でも、ラインナップがものすごく好みだ。気になっていた本が、というか気になっていたものばかりが並んでいる。そして、平置きされているもののなかには、気になるリストに加えたい本が何冊もある。いい、すごくいい。短い滞在時間だったけれど、すみずみまで心が満たされるのを感じた。たくさんの本が揃う大きい本屋さんには出会いのチャンスと安心感がある。一方で、小さい本屋さんには1冊1冊とじっくり向き合うゆとりや、相性がよい場合に生まれる心地よさのようなものがある。この本屋さんとわたしは気があいそうだ。

最近まで、「思慮深さ」には知識や見識のすごさ(語彙力がなさすぎる!)のようなものが必要で、自分とは縁がないというか、手に入れたくてもなかなか難しいものだと思い込んでいた。だから、先日ある人に「あなたのそういうところに思慮深さを感じる」と言われて、心の底から驚いた。え?わたしのどこに?

その人によれば、ある情報に触れたときに、自分が抱いた感情や感想のみを結論とせず、もしかしたら全く別の感情を持つ人がいるかもしれない、自分が知り得る限られた情報だけでは断言できない、ましてやそれを不特定多数の人に向けて言うことなどできないという姿勢が、誠実で思慮深いと感じるのだそうだ。ちょっと買いかぶりすぎな気もするけれど、確かにそれらはここ数年のテーマだし、上手にはできないけれど練習しつづけていることではある。だから、その人の目にうつるわたしがそういう感じだと知って、とてもうれしかった。練習の成果というのは、自分ではなかなかわからないものだから。

もしも、そういう態度でいることが思慮深さにつながるのだとしたら。もっともっと練習すれば憧れの「深み」を身につけられるかもしれない。わたしがなりたいわたしに、ぐいっと近づけるかもしれない。それはとても幸せなことだし、この気持ちを希望というんだろうなと思う。