わたしだけの安全地帯と美しい水

わたしだけの安全地帯と美しい水

気がつけばずいぶん長いあいだ、日記を書かずにいてしまった。書かなかったのはここだけじゃない。「このままだとページが足りなくなってしまうかもしれない」と心配していたロディアのゴールブックも、いつのまにか書かなくなってしまった。苦しさや面倒くささなどひとつも感じていなかったのに、ある日突然流れが途絶える。たいていのことは、そんなふうになんとなく終わったり変わったりする。

日記を書かないあいだ、わたしはむさぼるように本を読んでいた。それも、普段読んでいる小説や児童書やエッセイではなく、さまざまな新書を。なぜ新書?理由はいろいろあるけれど、おそらく一番は「わからないことが多すぎて不安だから」だったと思う。

世界があまりにも混沌としていて、予備知識がないままニュースだけ見ていても何がどうしてこうなったのかよくわからない。かといって、一見わかりやすくまとめられたものを見てわかった気になるのは嫌だし、SNSを見れば良いか悪いか、賛成か反対かみたいな対立ばかりが目立ってとても疲れる。安全に考えごとができる場所、落ち着いて情報を得られるのはどこだ?考えた末にたどりついたのが「本」だった。こんなとき逃げ込めるのは本しかないと思った。それで、比較的情報が新しく、新聞記事より詳しく、前後や横の繋がりも感じられる新書にたどりついたというわけだ。

SNSから離れ、細切れの空き時間を読書に費やしはじめたのは3月ごろ。現在までに読了したのは、関連する単行本も含めるとおよそ30冊にのぼる。あらためて数字をみると、結構な数だ。これまでどおり働いて、朝6時に起きて弁当を作り、3食作って食べ、しっかり眠って、ときには出かけたり、庭仕事をしたり、小さな喧嘩をして仲直りしたりしてもこれだけ読める。つまり、その気になれば(そして風邪をひいたり、心配事があったりしなければ)このくらいは読めるということで、時間がないから読めないのではなく、限られた時間をどう使うか、何を選択するか、あるいは体力や気力の残量のほうに理由があるんだなと実感した。

そんなふうに新書を読むようになって、わたしの心はだんだん落ち着きを取り戻した。ただ読むだけでなく、学んだことや視点の変化などを読書メモにまとめて、ブログで公開することにしたのもよかった。安心して息を吸える場所を持つのは、わたしにとってすごく大事で必要なことだ。わたしがわたしのままで居られる場所は、ひとつでも多いほうがいい。

2026年の半分が終わった。きっと残りの半分も、わたしは何かをはじめたり、続けられなかったりしながら過ごすんだろう。そうして、少しずついいふうに変わっていけるのなら、それでいいな、十分足りるなと思う。

6月は仕事がいつもより忙しく、身も心も疲れ気味だったので、読書のペースを少し落として、手を動かすことに時間を使った。特に心が疲れているときは、手を動かすのがわたしにとってはいいやり方だ。必要に迫られてやったボタン付けにはじまり、依頼されたズボンの裾上げ、20年近く愛用しているトートバッグのダーニング、父の日には夫に半袖パジャマ、大切なお友だちの誕生日には刺繍ブローチを作った。いっときの集中、ぐぐっと入り込むあの感覚。そういう時間がわたしを助け、わたしをわたしに戻していく。そのことを強く感じた日々だった。そんな6月の終わりに、すてきな贈りものと、うれしいうれしいお便りが届いた。そこに書かれていたのは今日のわたしだけでなく、明日も明後日も、その先のわたしをもうるおす、美しい水のような言葉だった。あまりにうれしかったものだから、少し泣きそうになりながら何度も何度も読み返した。