作られたムードと固まらない寒天

作られたムードと固まらない寒天

2025/09/11

夫の食欲が止まらない。どれだけ暑い日が続いても、彼の体はすっかり秋のようだ。毎晩23時すぎに帰宅したあと、「何か食べたい」「もっと食べたい」と言う。気持ちとしてはどうぞお食べと言いたい。しかしながら、時間も時間だし、好きなものを好きなだけ食べて元気でいられるような年齢ではないのも事実だ。どうしたものかと考えて、寒天ならまだマシなのでは?という結論に至った。食べないのが一番いいけど、少しおなかに入れて満足したい、スープはもう少し涼しくなってからがいい、という気持ちを満たすにはちょうどよいだろう。

ただ、それには重要かつ深刻な問題がひとつだけある。何かというと、わたしはゼリーのような食べ物を作るのがめっぽう苦手なのだ。書かれたとおりに作っても、固まらない。夫が同じように作ると、固まる。もちろん「ゼリー 固まらない」「寒天 固まらない」などの検索はしたし、そこにあげられている理由をひとつひとつ潰すくらいのことはした。が、やっぱり何度やっても固まらない。しかも、わたしはそんなにゼリーのような食べ物が好きではないので、「絶対に成功させてやる」という情熱もない。というわけで、長年ゼラチンや粉寒天とは縁遠い生活を送ってきた。

そのわたしが、寒天を作ろうとしている。ちなみに、夫に「作ってほしい」と頼まれたわけではない。夫はそういうふうにわたしに負担をかけるようなことは、基本的にしない(例外:ズボンの裾上げ)人だ。寒天のことを話せば、おそらく「大変だからいいよ、買えばいいんだから」と言うだろう。あるいは、「俺が自分で作るから」と言うかもしれない。それならなぜ、わたしは寒天を作ろうとしているのか。正直、自分でもよくわからない。しいて言うなら、ゼラチンや寒天に対する苦手意識を克服したかったのかもしれない。

そんなわけで、数年ぶりに寒天を作ってみた。予想どおり、見事に失敗した。やっぱり固まらないのだ。再加熱すればやり直せるという言葉を信じて何度かチャレンジしていたら、液がほとんどなくなってしまった。残っている粉寒天はあと1回分。これがうまくいかなかったら、今度こそすっぱりあきらめよう。そう心に決めて挑んだら、なぜか固まった。材料も作り方も全部今までどおりなのに、固まったのだ。うまくいった理由はまったくわからないけれど、成功は成功。ようやく、わたしは寒天を作ることができた。ただ、うれしいかと言われたら、別にそこまでではなかった。繰り返しになるが、わたしは特に寒天が好きではないから。でも、なんていうんだろうな、ようやく歩み寄れたというか、なんだお前そんなに悪いやつじゃないじゃんみたいな和解のムードになったのは確かなので、先ほど粉寒天1kg入を注文した。

ムードといえば、SNSなどでよく見かける「作られたムード」が昔から苦手だ。作られたムードというのは、わたしが勝手にそう呼んでいるだけなんだけれど、誰かの発言に共感する人びとが集まって生まれた同調の雰囲気とか、それがあちこちに広がっていく状態を指している。たとえば、何かをバカにしたり、叩いたり、あるいは絶賛したり、崇めたり。内容がどうであれ、そういうムードのなかに身をおくのがわたしはどうしても苦手なのだ。さまざまな背景や考えをもつ、たくさんの人のなかにいても、わたしはわたし、あなたはあなた、話をするのはわたしとあなた、1対1。そういうふうに立っているのが好きで、安心する。だからきっと、これから先も苦手なままだろうなと思う。