文通にあこがれて

文通にあこがれて

文章はひとりでも書ける。好きなだけ。長くても短くても、おもしろくてもつまらなくても、誰かに読まれても読まれなくても、書くことはできる。でも、手紙は違う。手紙をやり取りする、いわゆる文通をするためには、相手が必要だ。もちろん、未来の自分へ書く手紙、みたいなものだったらひとりでもできる。だけどやっぱり、それは文通とはいわないし、わたしがあこがれているのとは違う。

去年の中ごろだったかな、突然「文通ができたらいいな」と思いはじめた。ニュースレターという形で手紙を書いたり、往復書簡という形でやりとりをしたりするようになって、手紙を書くという行為に慣れてきて、少し欲が出たのかもしれない。毎日書写を続けていたから自分の字に抵抗がなくなった、というのもある。でも、相手がいない。

2025年を前に「1年でやりたい100のコト」を書き出したとき、「文通相手を募って文通をはじめる」を10番目にあげた。あげたはいいけれど、どうやって募ればいいんだろう、どうやって相手を見つければいいのかわからない。某所でそうつぶやいていたら、するするとご縁がつながり、文通相手が見つかった。そうか、思うだけじゃなくて、言葉にして表に出すのが大事なんだな。やりたいことは口に出したほうがいいってよく言うけれど、ほんとうにそうだなと思った。